猫の人権を蹂躙する

先日、小沢一郎日本国総統閣下が、講演にて、こう仰ったそうだ。

ニート問題は全て親が悪い」

全くその通りだと思う。保護者が甘やかし過ぎるから、あるいは厳しくし過ぎるから、あるいは放置し過ぎるから、あるいはコントロールしすぎるから、あるいは期待を寄せ過ぎるから、こういうことになるのである。子孫とは自らのDNAの運搬役ではあるが、人生の継続者では無いのだ。それを勘違いし、丈を越えた願望を押しつけるから、訳の分からない事態に陥るのである。ある程度の負荷は成長に必要不可欠ではあるが、良かれと思った結句として過度になったそれは、庇護を受ける者の心身を蝕み、歪ませるのである。一度、心についてしまった折り目は、もう二度とはまっさらには戻らない。


なぜ独身者であるにも関わらず、こうした分かったようなことをしたり顔で言うかというと、今現在の僕がまさにそうだからである。僕はヨシカゲを確実に甘やかし過ぎている。甘やかすだけなら、まだ良い。そこに、可愛がる、溺愛する、大切にする、全てを受け入れる、などの全肯定行動が瀑布の如く雪崩れ込み、我が家は、ただならぬ政局を迎えているのだ。このままでは恐ろしいことになるのは必定。早急に対策を打たねば、一線を越えてしまうだろう。

いや、既に僕は、 DEKIAI度がオーバードライブし、一線を越えてしまっているようであった。『愛情』は、『歪んだ愛情』に無残なステップアップをしてしまった。以下の写真を見てほしい。これが僕が、同居人であり友人であるヨシカゲに、己の身の丈を越えた、過度の『期待』を込め、愛情という名の下に彼の人権を無視し、蹂躙しつくした、悪魔の所行の衝撃の決定的映像である。実刑は覚悟している。




「やめて……そんなつもりで来たんじゃないの……」と拒否するヨシカゲと、「ふん、今更何かわいこぶってんだ、こんなにふかふかしてんじゃねえか!」と思うがままにモフモフする皿屋敷




「どうして……どうしてこんなことするの……」必死の抵抗もむなしく、ヨシカゲは皿屋敷の執着の犠牲に……。



……一時の欲望に負けたとはいえ、僕はとんでもないことをしてしまった。こうして写真で振り返ると、物凄く嫌がっているのがありありと分かる。あの嫌がりを思い出すだけでにやにやしてしまう。この狂乱の宴はなんと5分もの長きに渡って行われたという。

満足しきった僕が、いやぁやめてぇと逃げたがるヨシカゲを解放したときには、彼の精神はすっかり錯乱してしまっており、90年代後半のヴィジュアル系アーティストの歌詞のように、触れるもの全てを傷つけだした。YOSHIKIがドラムを蹴り倒すときのような態度で、凄惨な破壊活動を始めたのである。


鬼神と化したヨシカゲを止める術は存在せず、結果、我が家の三色ペン、ノート、電卓、ティーシャツ、先月のアフタヌーン、爪切り、ティッシュ、眼鏡、コップ、焼酎、ベースギター、炊飯器、トランプ、行灯、ポマト、周瑜、ミイラ、暖簾、カメラ、種子島、トライアングル、麻薬、アルファルファ、督促状、ユーラシア大陸、仏壇、デスマスクおてもやん、ロボピッチャ、櫓太鼓、エアフォースワン、金印といったあらゆるものは破砕せしめられた。たちまちにして資産の大部分を失った僕はすっかり貧乏になってしまったが、自業自得といえよう。




サーベルタイガー状態のヨシカゲ




皿屋敷の手を一心不乱に噛む、復讐の鬼と化したヨシカゲ


「刹那の快楽に負け、すっかりヨシカゲの信用をなくしてしまった。中国外遊にてハニートラップにかかった政治家をもう笑えない。これから信頼関係が崩壊した相手との無残な家庭内別居が始まると思うと絶望しか残らない」と僕は悲観に暮れ、奥歯に仕込んだ青酸カリカプセルを噛み砕こうとした。

すると、ヨシカゲがトコトコとすり寄り、いつものように僕のあぐらの上にちょこんと乗り、たちまちにしてすやすやと寝だしたのだ。

よく分からないが、赦されたのだ。やはり僕たちは相手の全てを受け入れられる程に愛し合っていたのだ。

なんという器の大きい猫であろうか。僕は感動し、より一層ヨシカゲを甘やかすことを決意し、一緒にコタツで就寝し、風邪を引き、働けなくなり、貯金が尽き、家賃を滞納し、家を追い出され、途方に暮れ、助力を得んと派遣村を探したがそんなものはもうどこにも無く、あえなく凍死したのであった。