猫と食事を摂る


ヨシカゲを拾い早いもので一月が経った。ヨシカゲは無事、我が家と僕に馴れ、今ではのうのうと惰眠を貪ったり、台所を崩壊させたり、深夜に大暴れし僕の安眠を妨害したりと、平和に日々を送っている。


先ほど気づいたのだが、この一ヶ月、僕は家で一切の食事を摂っていなかったようであった。というのも、猫が食べてはいけないものへの知識に乏しく、


「もし、部屋に置いたものが、猫にとって毒物であったら……」

と考えると、とても家で食事をする気にはならなかったのだ。元々、自宅で食事を摂る習慣に乏しかったこともあり、冷蔵庫にはお茶と水と卵だけを入れ、大戸屋ラケルなどで栄養を摂取する日々であった。


しかし、今日は違った。寒かったのだ。


僕は突然寒くなったり、いきなり暑くなったり、駅に着いたら豪雨だったりした場合、途端に気分を害し、その日の行動を全てキャンセルするという悪癖がある。仕事を放擲し、その上あろうことかタクシーで帰宅したりする。およそ社会人として不適当な行為である。これにより今までの人生において多方面よりの信頼を著しく失い、今ではJRや僕鉄各社の切符自販機のおつりを漁るという階層に身をやつしているが、それでも雨の日に仕事をするよりは万倍マシである。


従って、突然の寒波に見舞われた今日、仕事をする道理は無く、家でごろごろすることは極めて自然な行為といえた。


だが、それでも困ったことはある。食べるものが無いのだ。


ヨシカゲの食料は豊富にあったが、これは有り体に言うと鯉の餌の匂いがし、人類が食べるのは不可能に近かった。暖かくなるまで食べない、という選択肢もあったが、万が一、僕が何らかの要因で早期に餓死してしまった場合、ヨシカゲが空腹に喘ぐという事態が到来することになる。今や僕の生きる理由・存在意義は、『ヨシカゲに静穏を与える』のみであるため、それだけは回避せねばならない。ヨシカゲの安寧な生活の維持のため、僕は何とかして食料を入手する必要があった。


僕は、自らの生活の無頓着さには自覚があったため、何か食料がどこかに隠されているとの推測を立て、部屋の捜索を開始した。そして予想はずばり当たり、戸棚深奥部に、袋タイプの即席ラーメンを発見した。


僕は小躍りし、湯を沸かし、ラーメンの調理に突入した。卵もあったため、これはもはや御馳走である。男性一人暮らしにおいての卵入りラーメンには、至高のメニュー・五大鍋も敵わないだろう。ラーメンの調理過程については、僕は大名作『捨てがたき人々(ジョージ秋山先生著)』を異様に読み込んでいるため、執拗に描写することが可能だが、書くうちに鬱に落ち込んでしまうことが確実なので割愛する。


ヨシカゲは何かゴチャゴチャやっている僕を興味深げに眺めていた。恐らく、火を見るのが初めてなのだろう。うなりをあげてゆらめく、変な青色の現象に興味津々であるようだった。しかしながら、ヨシカゲがぴょんとジャンプし、火に突撃しようものなら、開闢以来の大惨事が発生することになる。異常に気をつけながらヨシカゲを監視し、ジャンプの体勢に入ったと見るや否や、元栓を閉めるシミュレーションを繰り返した。


幸い、ヨシカゲは火に突撃することなく、何事もなく無事、ラーメンは完成した。卵を落とし、器に装い、こたつへ運ぶ。完璧である。


「うひゃひゃ、最高ですなあ」と僕はラーメンを食した。すると忍び寄る者がある。ヨシカゲである。そういえばヨシカゲは、僕が何かを食べる様子を見るのは初めてであった。うろんな表情で麺をすする僕に対し、怪訝な表情を崩さない。


すると、こたつにすとん、と飛び乗り、器を凝視しだした。いい匂いを感じ、食べ物であると認識したようであった。ラーメン制作に入る前にご飯を充分な量、与えたため、おなかは一杯なはずである。しかしヨシカゲは僕の食する謎の物体を物欲しげな目で見つめる。ヨシカゲは野良であったため、食事に関しては悠長な姿勢を許さない。たくさんの食物があったとしても、「あとで」などというぬるい考えはしない。「あとで」など無いかもしれないし、「次で」などという確証はどこにも無い、ということをヨシカゲは知り抜いている。知り尽くさざるを得ない人生を歩んできている。生き物としては当たり前だが、悲しい本能であった。僕はヨシカゲの本能を超克し、「食べ物は毎日きちんともらえる」と教えてあげねば、と堅く誓った。


そう目を閉じ、腕を組み、眉間に皺を寄せ、決意を新たにする。そうして目を見開いたとき、眼前に信じられない光景が広がっていたのだ。




ヨシカゲがラーメンに舌を突っ込もうとしていたのである。僕はヨシカゲのあまりの無謀、蛮勇に息を飲み、しばし身動きが取れなかった。慌てて身体を動かし、すぐさま「それはいかん!」と制止しようとした。

が、僕は手を止めた。ここは一つの分水嶺である。

ヨシカゲからラーメンを取り上げたところで、彼は「なんか止められた。むかつく」と思うだけである。近い未来にラーメンに舌を突っ込むことによりヨシカゲを襲来する悲劇。“猫が熱いものに触れるとどうなるか”をヨシカゲは学ぶ必要があった。今がその刻なのである。幸い、完成後に少し水を入れたため、そこまでの熱々ではなくなっている。これくらいなら問題あるまい、と推測、僕は帰結を見守ることにした。


結果は当然のものであった。舌をラーメンに入れたヨシカゲは、この世の終わりを告げるラッパを聞いたような顔をし、後ろに飛び退き、コタツと本の隙間に落下、這々の体でコタツ内部に逃げていった。僕は可哀想だとは思いつつも、そのリアクションに爆笑した。


しばらくすると、なおも果敢にラーメンに挑戦するヨシカゲの姿が見られた。なかなか根性のある猫である。前足を入れようとし、おっかなびっくりつつく、舌を入れ熱さにおののき脱兎する、においに釣られ近づく。こうしたことを繰り返し、「なんだか危険だが美味しいもののようだ」と学習したようであった。僕はそろそろ頃合いと見て、麺を数本、箸で掴み、ふーふーし冷まし、ヨシカゲの近くへ持っていってやった。


しばらくは警戒心を露わにし、威嚇行動を取るヨシカゲであったが、やがて近づき、しゅるるん、と食した。飲み込むと、すぐさま接近し、次をせがんだ。どうやら気に入ったようであった。喜んでいるようであった。


本当は、これと決めた餌を変えるのはあまり良くないようである。むやみに違う栄養を与えるのは、猫の身体にとってストレスになるようである。しかし、たまに一人と一匹で楽しく食事を取ることは、一緒に暮らすにあたって、極めて大事なことなのではないだろうか。こうして絆を深めていくことも大事なのだなあ、と学ぶことが出来た昼下がりであった。次は鯵でも焼いてやろうと思う。